柳生宗矩の主な足跡
年代 年齢 出来事
元亀二年(1571年) 柳生宗厳(石舟斎)の五男として生まれる(幼名は新左衛門後に又右衛門)
文禄三年(1594年) 二四歳 父・宗厳と徳川家康の前で剣技を披露。宗矩二五〇石で召抱えられる
慶長五年(1600年) 三〇歳 関が原の合戦にて戦功あり、太閤検地で没収されていた旧領を返還される。
慶長六年(1601年) 三一歳 徳川二代将軍・秀忠の兵法指南役となり新たに千石を加増される(三千石)
慶長十二年(1607年) 三六歳 長男・七郎(後の十兵衛三厳)誕生
慶長十六年(1611年) 四〇歳 次男・左門(後の刑部少輔友矩)誕生
元和元年(1615年) 四四歳 大阪冬の陣にて秀忠の旗本として参戦し、秀忠の危機を守りきる
三男・主繕(後の飛騨守宗冬)誕生
元和二年(1616年) 四五歳 坂崎出羽守が千姫事件を起こし、宗矩が単身赴き説得し出羽守は切腹
この後坂崎家の家紋(ニ蓋傘)と武具を与えられ、以後坂崎家の遺族の
面倒を見たと伝えられる・・・
元和九年(1623年) 五三歳 徳川三代将軍に家光就任。宗矩、家光の兵法師範に任じられる
寛永六年(1629年) 六〇歳 但馬守を襲名し、従五位下に任じられる
寛永九年(1632年) 六三歳 新たに三千石が加増される(六千石) 宗矩、惣目付に任命される
寛永十三年(1636年) 六七歳 更に四千石の加増を受け、一万石の小大名に栄進する
寛永十六年(1639年) 七〇歳 父・石舟斎の菩提を弔うために、親交のあった沢庵和尚を開山として柳生芳徳寺を建立する
寛永十七年(1640年) 七一歳 更に五百石の加増を受ける
正保三年(1646年) 七六歳 下目黒の下屋敷にて没す。将軍家光より従四位下を贈られる
(解説&感想)

 兵法で将軍家指南役にまで登りつめ1万2500石の大名にまで出世した異例の剣士。
小説等の影響で政治手腕ばかりが取り上げられ、剣の腕前は大したことなしと書かれて
いるがまさかそんな二流の剣士が将軍家指南役になれるはずはありません。同時代に
生きた宮本武蔵が剣一筋に生きて最後まで一剣士として死んだので、あまりの宗矩の
栄達に後世の人が妬みで書いたものと思われます。いつの世も出世する人を妬むのは
同じですね。哀しい話ですが・・・
父・石舟斎の『活人剣』を受け継ぎ、泰平の世の役に立つ剣の理を説き、徳川三代将軍
家光の信頼を得て、初代惣目付、大目付と躍進し諸大名の動向を探る幕府の要職につく。
また沢庵禅士に師事し、剣と禅との融合『剣禅一如』を会得する。また能の金春家とも交流し
剣術のみならず能の世界にも精通したと言われている。
将軍家光の信任は富に厚く、家光が屋敷に数多く訪れたと史実に残っているし、家光自ら
『政治の理を但馬から教えてもらった』と言わしめている。剣術史上類をみない栄達を手に
いれた人といえる。
宗矩のお墓は奈良市柳生下町にある菩提寺・芳徳寺に他の柳生家の人々と共に眠っています。
また本堂には沢庵禅士と初代住職・柳生列堂と並んで宗矩公の木像が安置されています。

  

奈良・柳生芳徳寺へのアクセスはこちらを参照

(柳生宗矩・お勧め本)
 著書名 柳生 宗矩 春の坂道1・2・3・4
 出版社 講談社
 著  者 山岡 荘八
       山岡 荘八歴史文庫61〜64
 価  格 ¥672(税込み)
 
 (感想)
  宗矩の青年期より晩年までを描いた作品で非常に面白い
  です。私も何度も読み返しています。母・春桃御前の描写
  がとても良くてホッとしますね。宗矩が一剣士から幕府の
  要職に上り詰めるさまは現代社会にも通じるものがあります。
  ぜひ読んで頂きたいシリーズです。

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